岡部 敦オカベ アツシ【ガイド期間】1997 - 2007 |
ヤムナスカの代表である難波と共に、ヤムナスカの創設期を担っていたレジェンド・オブ・レジェンド。アルパインツアーのツアーリーダー業を長く引き受け、日本から来られた多くのお客様をご案内しました。今日のヤムナスカがあるのは岡部のおかげと言って良いでしょう。 今は10年続けた山ガイドの仕事から少し離れ、新たな自分を見つけることに挑戦しているとのこと。彫金による工芸品を自宅のアトリエで製作している。祖父の確立した彫金技術をカナダの地で定着させようと奮闘中。 |
加藤 貴子カトウ タカコ【ガイド期間】1999 - 2005 |
1990年にヤムナスカの登山学校を卒業後、カナナスキス州立公園にてスノースタディの仕事を手伝う。その後はカヌーのエクスペディション・ツアーの手伝いをしたりと、カナダの様々なアウトドア・スポーツを経験しました。90年後半は活動の拠点をバンクーバーとウィスラーに移すも、難波からの誘いもあり、1999年からヤムナスカ・ガイドの一員となりました。女性ならではの気配りは、お客様に大変評判が良く、リピーターのお客様からはいつもリクエストがありました。2006年からはウィスラーでガイド会社を起業し、現在に至ります。 |
Derek Holtvedデリック ホートベッド【ガイド期間】2000 - 2009 |
日本で英語教師として6年間勤務した経験があり、流暢な日本語と日本文化、日本人の精神を習得した、侍魂を持つカナダ人。2005年、難関であるカナダ山岳ガイド協会公認のバックカントリー・スキーガイドの資格を取得、また、同協会のハイキングガイド試験や自然観察員資格(IGA)の試験官を務めています。2010年の夏はバンフ国立公園のスタッフとしても活躍していました。 |
平木 裕実子ヒラキ ユミコ【ガイド期間】2002 - 2008 |
創設期のMPHIA(現IGA)の審査員に選ばれるなど、バンフの日本人観光ガイドも一目置く経験と知識を持つレジェンドガイド。ヤムナスカでは、個人客を専門にグループ・ツアーの専任ガイドとして活躍してきました。現在はハイキングガイドは休職状態ですが、大事なリピーター様のツアーにはガイドとして出ることもあります。 最近は世界中の高い山を登ろうと計画をすることが多いようで、登山家の田部井淳子さんとマナスルヘ遠征した話などを聞いています。 |
落合 圭太オチアイ ケイタ【ガイド期間】2000 - 2004 |
ヤムナスカの登山学校を卒業後、ヤムナスカの一員となりました。非常に人柄が良く、歴代のヤムナスカ・ガイドを見ても、彼ほどまっすぐな人間はいないかもしれません。趣味で続けている極真空手では軽量級で、全カナダ春1回優勝など、数々の大会で好成績を残すほどの腕前で、グリズリーをも一撃する、癒し系ガイドと評判でした。 ヤムナスカ退社後は、バンクーバーで2年間指圧を学び卒業し、指圧学校の講師の経験を経て独立。現在はケロウナで指圧診療所を開業しています。 |
足立 道代アダチ ミチヨ【ガイド期間】2005 - 2008 |
アルパインツアーのツアーリーダーとして、世界中の山々を旅した経験を持つ彼女。2000年にマウント・アルバータ登頂75周年式典のためにジャスパーを訪れた際、地元の人間や大自然とのふれあいから、深くロッキーに魅了され、ヤムナスカ・ガイドになる道を選びました。女性ならではのきめ細やかさを十分に生かしたガイディングは本当に評判でした。 2008年にオーストリア人の山岳ガイドと結婚し、現在は二人の子供に恵まれながら、育児に奮闘中とのことです。 |
Brad Towleブラッド トール【ガイド期間】2003 - 2006 |
文部省の教育プログラムを利用して、3年間、和歌山県の小学校で英語の教師として働いた経験を持ち、ヤムナスカではトオル君のあだ名で親しまれたユーモアあふれるガイドでした。 現在は、世界遺産である和歌山県の「紀伊山地の霊場と参詣道」(通称:熊野古道)の海外マーケティング担当者として活躍しており、ヤムナスカが企画したカナダ人向けの熊野古道ツアーでは、日本側アドバイザーとして、旅程のプランニングにあたってくれました。 |
栗原 治郎クリハラ ジロウ【ガイド期間】2007 - 2011 |
美大卒で映像関係の仕事の経験もあり、写真家としての腕はプロ並みであった栗原は、その温厚な人柄から、誰からも好かれる魅力的なガイドでした。また、世界中のフィールドでクライミング経験があり、ヤムナスカ・ガイドの歴史の中でも、最も真剣に山と向き合っていたアルパイン・クライマーでもありました。 2011年5月21日。デナリ国立公園Mtフランシスにて、帰らぬ人となりました。享年33歳。私たちはいつまでも彼のことを語り継いでいきます。 |
秋山 裕司アキヤマ ユウジ【ガイド期間】2004 - 2012 |
ヤムナスカ登山学校を卒業後、YMCAキッズキャンプのインストラクターを経て、2004年にヤムナスカのガイドとなりました。後年は持ち前のリーダーシップを活かして、ガイドリーダーとして活躍してくれました。 2005年にクラックス・パブリッシングを設立、翌4月には初の出版物となる「カナディアンロッキーの高山植物」を出版し、「カナディアンロッキーのハイキングガイド」と共に人気の出版物を発行しています。 2012年秋、ヤムナスカから独立し、「オンサイトカナダ」を起業。以後は個人ガイドとして、同じカナディアンロッキーを舞台に、ガイド業に励んでいます。 |
小泉 優コイズミ ユウ【ガイド期間】2007 - 2017 |
ヤムナスカ登山学校を卒業後にガイドとして働き始めた小泉は、ヤムナスカの歴史の中でも、最も長くガイド業に携わってきたスタッフの一人です。ユーコン準州ホワイトホース事務所ができた翌年(2009年)から、本山と共にユーコンでのツアー創世にエネルギーと情熱を注いできました。名前の通り、優しく人当たりの良いガイディングスタイルが人気でしたが、料理の腕前もかなりのもので、今や定番のツアーであるクルアニロッジの食事スタイルの土台を作りました。2017年、家族とともにBC州ビクトリアへの移住を決意したことをきっかけに、長く務めたヤムナスカを退社しました。 |